作家略歴 |
山国兵部
1793~1865 常陸水戸藩士 名・共昌、通称・喜八郎、号・止戈堂 田丸稲之衛門の兄。藩の軍制を改革し幕府に海防策を申し立てる。天狗党の挙兵に合流し京都へ向かうも敦賀で処刑される。
茅根伊予之介
1824~1859 常陸水戸藩士 名・泰、字・伯陽、号・寒緑 会沢正志斎・藤田東湖に学ぶ。弘道館舎長、奥右筆頭などを務める。藩主徳川斉昭に仕え蟄居に際し辞職。家老安島帯刀らと幕政改革をめざす。安政の大獄により捕えられ処刑される。
高橋多一郎
1814~1860 常陸水戸藩士 名・愛諸、字・敬卿、号・柚門 藩主徳川斉昭蟄居謹慎処分の解除を求めて尽力するも自らが蟄居となる。斉昭の復帰により処分解除となる。井伊直弼暗殺計画の実質的な指導者。捕えられ長男諸徳と共に大坂で自刃。
鮎沢伊太夫
1824~1868 常陸水戸藩士 本姓・高橋、名・国維、字・廉夫、号・不愧 水戸藩士高橋多一郎の弟。養父は鮎澤正行。藩校弘道館舎長をへて勘定奉行となる。安政の大獄で豊後佐伯藩に禁固となる。のちに戊辰戦争に従軍。藩内抗争で諸生派と戦い戦死。
斎藤監物
1822~1860 常陸生・勤皇家 名・一徳、号・文里、変名・佐々木馬之助 代々常陸静神社の祠官の家に生まれる。藤田東湖・加倉井砂山に師事。桜田門外の変に参加し死去。
杉山復堂
1801~1845 常陸水戸藩士 名・忠亮、字・子元、通称・仙太郎、号・致遠斎
古賀精里・藤田幽谷に師事。弘道館教授となり彰考館総裁をかねた。
会沢正志斎
1782~1863 水戸藩儒者 名・安、通称・恒蔵、字・伯民、号・欣賞斎、憩斎 藤田幽谷の青藍舎に入門。藩校彰考館に学んだ。藤田東湖、武田耕雲斎とともに徳川斉昭に仕えた。著書に「新論」。
吉成信貞
1797~1850 常陸水戸藩士 名・信貞、字・履善、通称・又右衛門、号・慎亭 藤田幽谷に学び郡奉行となる。藩主斉昭の無実を訴えて処罰された。
豊田天功
1805~1864 常陸生・儒者 名・亮、通称・彦次郎、号・松岡、晩翠 水戸彰考館総裁。藤田幽谷に師事し「大日本史」編集にあたる。海防の重要性を説いた。 |